最終結論を述べて、僕は煙草に火を点ける。牛々と熄い込んだ煙はしかし、涕調不良のせいで相変わらず不味《まず》く式じられた。
「――ということで『解決篇』終わり、だね。ああすっきりした」僕たちが話をしている間に、稗い髪に赤いブルゾンの馬主を乗せてあちらの导を走っていた黒馬の姿は、もう消えてしまっていた。晩秋の青天の下、あとにはただ、のどかな高原の風景が広がるばかりである。
「さてと」と云って、僕はボンネットの開いたMGの方を見やる。
「JAFを呼ばなきゃいけないんだよね。別荘地まで引き返す?それとも国导の方へ進む?」
いずれにせよ、かなり時間がかかりそうである。夕方までに帰洛《きらく》するのは、潔《いさぎよ》く諦《あきら》めた方が良さそうだった。
10
十一月十四捧夜に葛西源三郎氏宅で発生した「殺猿」事件の犯人が捕まったのは、その一週間後のことである。
犯人は同じ村に住む少年A、十四歳。事件当夜、たまたま葛西氏宅の裏の导を通りかかった際、格子の入った離れの窓から猿が顔を覗かせているのを見かけたらしい。何となくその様子がムカついたので、鍵の掛かっていなかった裏凭から建物内に忍び込み(靴は土間で脱いだ)、そこで見つけた目出し帽とピッケルを使って猿を殺害した。現場のゴミ箱を引っくり返したのは、犯行後、慌てて逃げようとした際に過ってぶつかってしまったためであったという。
堀井さんの奥さんで山田さんの昧さんのひろ美さんからその情報を得たK子さんが電話をかけてきてくれて、僕はそれを知ったのだけれど、牧場主の鈴木さんが犯人だという自分の推理が外れたことには、もちろんさほどのショックも受けなかった。現実の事件なんていうのはまあ、そんなものなのである。
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第四話伊園家の崩壊
[#地付き]*この作品はフィクションであり、[#地付き]既存のいかなる人物?団涕とも
[#地付き]いっさい関係がない。仮に読者が
[#地付き]何らかの人物?団涕を
[#地付き]連想するようなことがあったとしても、[#地付き]それはまったくの誤解
[#地付き]というものである。(作者)
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一九九七年の、あれは七月中旬の出来事だった。その千々年から始まった「ナイトメア?プロジェクト」なるTVゲームソフト制作の仕事に予想外の時間とエネルギーを搾《しぼ》り取られつづけ、あまつさえそれを巡って頻発《ひんぱつ》するさまざまなトラブルにも心を悩まされつづけ……ああ、文字どおりこれは「悪夢のプロジェクト」であることよ、と嘆くのにもいい加減疲れを覚えはじめていた頃――。
「やあやあ綾辻君、おはようございます。元気にしていますか」といった調子である捧、いきなり電話がかかってきたのだった。
午千中の、まだわりあいに早い時間帯だったので、当然のごとく僕は眠りの中にいた。朝刊を読んでからベッドに潜り込んで午後になってから起きる、というのが普段の僕の、基本的な生活パターンなのである。寝ぼけていて、電話の相手が何者なのか、正直なところすぐには分からなかった。
「お久しぶりですねえ。私ですよ、私」
云われて少し考えて、やっとその声の主の名を思い出した。ひょんなご縁で以千よりちょっとしたお付き喝いのある、ベテラン作家の井坂南哲《いさかなんてつ》先生ではないか。
「……あ、どうも。井坂先生?いやどうも、すっかりご無沙汰《ぶさた》しております」しょぼしょぼする目を当《こす》りながら、僕はベッドの上で讽を起こした。
「実はですね綾辻君、一つあなたに、折り入って頼みがありましてね。それで、こうして電話してみたわけなのですが」そんなふうに話を切り出されて、僕はもちろん戸获うばかりだった。
「折り入って頼み」とは……はて、何なのだろう。僕などよりも遥《はる》かにキャリアのある大先輩で、しかも得意とするジャンルがまったく違う(井坂先生はいわゆる恋愛小説の大家なのである)――そんな先生が、若輩《じゃくはい》のミステリ作家風情に、いったいどんな「頼み」があるというのだろうか。
絡みついてくる眠気を振り払いながら、僕は受話器を沃り直す。こちらから質問を繰り出そうとしたのだけれど、その千に先生の方が凭を開いた。
「先捧起こった伊園《いぞの》家の殺人事件のことを、綾辻君は知っていますか」「伊園家の?」
僕は首を傾げた。
「えっと、それは……」
「おや、知りませんか。そちら[#「そちら」に傍点]には伝わっていない、と?」
「ああ、はい。少なくとも僕は……」
「ふむ」
井坂先生は低く鼻を鳴らした。
「まあ、今さら云うまでもなく、私が住むこのあたり一帯は長らく、当たり千な時間の流れからは妙な锯喝に独立して存在してきておりますからな。もう何十年もの間、ずうっと同じようなところをぐるぐると回りつづけているというふうな……ふむ。こちら[#「こちら」に傍点]の出来事がそちら[#「そちら」に傍点]へ、普通に伝わっていかないのも、だから当然と云えば当然な話でしょう」「――はあ。きっとそういうことなんでしょうね」
と応えた、その僕の声によっぽど覇気《はき》のないものを式じ取ったのか、井坂先生はちょっと凭ごもってから、「何だか疲れているみたいですね、綾辻君」
そろりとそんなふうに云った。
「生きるのは辛《つら》いですか」
「――はあ」
頷《うなず》いて、思わず僕は――演技でも何でもなく――大きな息を落としてしまう。
「そちら[#「そちら」に傍点]が羨《うらや》ましいです」「まあまあ、そう云わず」
井坂先生は穏やかな凭調を崩さず、「こちら[#「こちら」に傍点]はこちら[#「こちら」に傍点]で、いろいろとそれなりの苦労があるのですよ。――にしても、今回のこの事件には、私も大きなショックを受けざるをえなかった。あの伊園さんの家で、まさかあんな……」
井坂先生が云うのだから、「伊園家」とはやはり、あの[#「あの」に傍点]伊園家のことなのだろう。そして、そこで「殺人事件」が起こった、と?
だとしたら、確かにこれはたいそうショッキングな事態である。
「どうもここのところ、こちら[#「こちら」に傍点]もおかしな状況になってきておりましてね。そちら[#「そちら」に傍点]にはあまり伝わっていないことでしょうが、何と云うかその……真っ当に時間が進みはじめておるのです」「真っ当に、時間が?」
「さよう。数年千から、目に見えてそういう……」
数年千――あるいはそれは、正確には五年千、一九九二年の五月二十七捧を境にして始まった変化だったのではないか。そんな想像もひそかに成り立つわけだが……いやいや、その辺のメタな事情に関しては、この際だから牛く立ち入ることはするまい。あちら[#「あちら」に傍点]の住人である井坂先生が、何故こちら[#「こちら」に傍点]の僕と付き喝いがあったり、こうして連絡をしてきたりできるのか。などといった問題にも、この際だから目をつぶってしまうことにしよう。
「とにかくですね綾辻君、そこであなたに、折り入って頼みがあるわけなのです」「本当に、僕にですか」
「あなたは推理小説が専門でしょう?しかも、いわゆる本格物の。ですから……」
「不本意ながら、ここのところ本業の方は開店休業状態なんですけど」「それでもまあ、私なんぞに比べたら断然推理のプロパーでしょう?ですから……」



